2008年2月26日
小朝というよりボノ
中学2年のころ、産休補助で来ていた国語の先生がいた。
実際の出身は広島だったように思うけど、わざとらしく江戸っ子ふうのしゃべり方をして、垂れて細い眼。
怒るときだけ落語家の春風亭小朝に顔が似ていた。似 てるといっても、今の僕と同じかそれより若いくらいの年齢だったと思う。
しかし中2にとって20歳以上はみんなおじさんだ。どこか凄味があって、アウト ローな感じがとてもまぶしかった。女子より男子からの人気が高かったのも頷ける。
おれ職員室きらいなんだよっていいながら、屋上で物書きしてたくらいだから他の先生からの評判はあまりよくなかったのだろう。
てんで弱いくせに問題ばかり起こしてた僕は、この先生によく首根っこをつかまれた。乱暴だったがしかしやさしかった。
それでも一度だけぶん殴られた。勢いよく倒れた僕をさらにふんづけながら小朝の顔で、
「おめえ自分よか弱い奴と喧嘩してんじゃねえよ、そういう奴じゃねえだろ、気分わりい」
と言い捨ててズンズンと教室を出て行ったのを覚えている。
小朝は昔バンドをやってたらしく、よく放課後の音楽準備室にドラムをたたきにきていた。
お世辞にもうまいとはいえない8ビートだったけれど、細い眼をさらに細くしてうれしそうに叩いていた。
僕はサッカー部を断念し、入ったブラスバンド部でもプスプスしてたので、音楽準備室をたまり場にへたくそなドラムを聴きながら暇な放課後を持て余していた。
スタンドバイミーはジョンレノンのバージョンの方が断然かっこいいということや、U2は原爆の歌を歌っていることをこのとき教えてもらった。
好きだった子 のオススメで斎藤由貴をちょっと聴くくらいだった僕にはなんだかまったくわからなかったけれど、きっとロックってすごいんだなあと思うようになった。
産休補助というのはつまり期間限定の代打なので、ほどなく任期は終わる。
来週で終りなんだという話をきいたときは不覚にも大泣きしてしまった。
馬鹿じゃねえ、おれなんかよりいい先生いっぱいいるじゃねえかこの学校は、みたいなことを小朝は言っていたが、ちがうよ、と思った。
最後の国語の授業は原爆についての特別授業だった。
ラジカセでU2を聴いては話を進めるという授業スタイルだった。
地元で聞いた生の話を熱っぽく伝えてくる先生は、小朝というよりボノだった。
なにもわからず小学校の文集で将来は歌手か学校の先生になると書いた僕は、そのときそれを確信した。想いを伝えるということの苦しみや責任よりも、魅力だけがそこにあった。
小朝じゃなくてボノは最後にジョンレノンのスタンドバイミーを聞かせてくれた。
断然かっこいい、と思った。
ボノは教員の正採用をあきらめてとりあえず実家の広島に帰るとのことだった。
年賀状の他、手紙のやりとりを2年ほどして、高校で僕がちょうど最初のバンドを組みはじめたころ、先生とは音信不通となった。
いまでもロックを伝えてるかな。
なんでこんな日記かというと、U2を聴いてました。
投稿者 :ナカヤン |



